プロセスワーク関連のおぼえがき

2007年6月にプロセスワークのMACFOC(葛藤解決・組織改革修士課程)の一期生としてめでたく卒業しました。これまでの学びを日本語のおぼえがきという形で書くとともに、ほぼ二年を経た今、だんだん地金が出てきてプロセスワークから迷い出している部分も多いです。

旅行前のおののき 10/19/09

あさって日本に行く。

旅行準備といってもそんなにやることはない、と思っていたが間際になって持っていくノートブックにワードを載せるのがえらい手間だと気づいた。

なくてもいいけど、旅行中に仕事が来たらそれではやばい。

といっても最近仕事が来ることがまれなので、万一のときのために何時間もコンピュータをいじるのも消耗だ。

第一日本についたらけっこう忙しいから、睡眠とかちゃんととっておきたい。

こういうことに気をとられて、もっと大事なパスポートとかを忘れたらもともこもない。

今、携帯電話のレンタルを予約した。

お土産選びはいつも困る。

ジャムとかチョコレートとかハーブ茶とかサプリメント、でもまあ日本でも買えるしこっちのが特別いい訳でもない。

うちでジャムとか作ればいいんだろうが。地元の人はよくやっている。

日本で会うのはほとんどプロセスワーク関係の人ばかりで、最近の私の関係性をよく示している。

昔の知り合いにも今メールしてみた。

後は親戚。はじめて父の法事にも行く。

母方の従兄弟たちが付き合いがよくて、日本に行くたびに集まりをやってくれる。

考えてみると私もほんとにいいおっさんである。

アメリカに移住したころの日本帰りは仕事や本あさりが主目的だったが、二十年後の今は仕事なし、本もこっちで注文した二冊をピックアップするだけ。

時は移っているなあ。

ポートランドで出会った日本のプロセスワーク界の人たちに会えるのが楽しみ。

プロセスカマキリというブランド 10/18/09

私はプロセスワークをMACFOCで学んだが、自分の課題に役立てるためにはいろいろと工夫が必要だと書いてきた。

そのプロセス自体はなんだかんだと試行錯誤をかなりやっている。

でも、直観的に自分にとっておいしい匂いのする方へ動くことはできるとしても、他の人に提供できるようなブランドがあるのかというと、どうだろう?

今はそんなものはないにしても、どういうブランドになりたいかという方向性くらいはあるんじゃないかな。

昨日の『不可視少数派のつらさ』で内気な人間同士が社会を形成する可能性について書いたけど、その辺が私のブランドになるのかな。

物との関係性というのも実は内気とか内向性とむすびついて豊かな可能性を秘めていると思う。

自分のことをカマキリと呼ぶくらい、私は虫と縁がある。

人間の魂の中の虫的なところへのアクセスも私の特徴だろう。

まあいろいろ特徴はあるだろうが、それがなんの役に立つの?という批判者ロールも私の中にいる。

それにどう答えるか。

人が人であるだけでは窮屈で、人が蛸になったり虫になったり石ころになったりすることで私たちにとっての世界がとても豊かなものになる。

役に立つという視点自体が人間中心的すぎる、と答えよう。

プロセスワーク関係の他の人がやっていることは基本的に人間同士の関係のことだ。

私が見ている方向は自分と世界との関係ということ。この世界には人も人でない物も含まれる。

物質の想い: その4』にすでにこの辺の私の想いが書かれている。

一年以上前に書いたものだが、これは私の基本的な方向性をよく示している。



10/24(土)と10/25(日)はDAYAさんとのコラボ!
 24日は対談、25日はグループプロセスやって後でビデオ研究です。来ていただけるとうれしいです。



不可視少数派のつらさ 10/17/09

可視少数派というのは見かけで主流派と区別される人々。

黒人とかアジア系が主だ。一目見ればわかる。

隠れるという選択肢はない。

不可視少数派というのはたとえば同性愛。

本人がカムアウトしない限りなかなか周囲の者にはわからない。

不可視少数派は主流派として生きることもできる。

そのかわりいつも自分を偽るという重荷を背負うことになる。

性格差別』や『Shynessという本』で触れた、内気な性格というのも特にアメリカではひどい差別を受ける。

だから、生まれつき内気な人は外向的に見えるように必死に努力するんだろうな、と思う。

もともと可視少数派である上に不可視少数派でもあったらこれは二重につらい。

だから、有色人種では同性愛としてカムアウトしてくる人は少ない。

内気な有色人種というのは非常につらい。

なんてこれは私のことではないか。

自分自身に待ち伏せを食ったような奇妙な気分だ。

つらい思いをしている内気な有色人種としてアイデンティファイすることを拒否する自分がいる。

そして泣きそうになっている自分もたしかにいる。

自分の内気な部分にやさしくすることはむずかしい。

主流派の内気に対する有罪宣告を内面化している。

内気が差別されている、と社会に対して抗議したとしても、その抗議のスタイルそのものが外向的、英語で言えばアウトゴーイングなのだ。

内気な人間同士が社会を形成できないわけではないと私は思う。

ただ現在の社会の主流派が外向的だから内気が反社会的に見えるだけだ。

この辺は『内向者の自己一致』を参照のこと。

なんとか書いた。

DAYAさんとのコラボの意味 10/16/09

DAYAさんと一週間後に東京で対談とグループワークをすることになっている。

DAYAさん』で書いたように、仲良しである。

二人のグループプロセスに対する姿勢はけっこう違っている。

DAYAさんの方が場の安全性に注意を払う。

私は『グループの安全性』で書いたようにグループプロセスの状況を本質的に安全だと感じる傾向がある。

というか、傷つけられてもそれが自覚できなかったりする(『グループプロセスで身を守ることの大切さ』)。

MACFOCのコホート1の戦友は僕のことを「あなたは状況がつらくなるとすっと心の奥の部屋に引っ込めるのでうらやましい。わたしには外に開いた部屋しかないから戦うか、傷つくかしかない。」と評していた。

私の場合たしかに傷ついて血を流すというよりは、危険を感じて奥の部屋に引っ込んだままかたつむりみたいに出て来れなくなるという感じかもしれない。

もっとも、グループプロセスで何か言ってみながこちらを注目すると、ちょっと逃げ隠れできなくてあせることがある。

こういう居心地の悪さに慣れることが私にとってグループプロセス経験のものさしの一つである。

ううむ、このエントリーは書きやすいだろうと思ったのに、さっきから書きづらくてしょうがない。

エッジ、なんだろうな。

実は私の中にはグループが怖くてしょうがないロールもいる。

でもそのロールから語ることがむずかしい。

DAYAさんとの会話の中でその怖がりロールが少し安心して話し出しているということがある。

そうか、だから、他の人たちが見ている中でDAYAさんと一緒に対談したりファシったりすることに初舞台のような心のふるえを感じているんだな。


話が途中から脱線したけど、深読みすればつながってるともいえるので特に修正しない。



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プロセスワーク関係の翻訳の仕事 10/15/09

今日ふと気がついたのだが、プロセスワーク関係の翻訳の仕事をする時期がきているのかな。

技術翻訳を二十年やっていたので翻訳は食傷気味。つい最近までプロセスワーク関係の翻訳と言われてもいまいち気持ちがついてこなかった。

でも今日はわりと興味もエネルギーもありそうだった。

Dくんにエイミー・ミンデルのAlternative to Therapyを訳したらどうかと言われて、帰りにPowell’s書店で買った。

けっこうその気になってる。

実はDくんと話す前に某君と「ディプロメートのウェブサイトを日本語化する仕事を立ち上げようか」という話をしていたのだ。

上記の本をランダムに開いて158頁の下から二番目のパラグラフを訳してみる。

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テリーナはこう言った、「わたしは宇宙から来た神秘主義者なので、これらのコンセプトを地球の読者に説明するためには自分の考え方を完全に逆転しなければならない。ここで非同感性(nonconsensual)と言われているもの全てが宇宙に住むわたしには同感性(consensual)となる。宇宙が私にとっての「地球」なのだ。このクラスのほとんどの人たちはいわゆる地球の通常の同感的現実(CR)に足をつけているために上下がさかさまになっている。このことについてしばらく考えてみたが、みんながますます困惑するばかりなので、これについては次の機会を待つことにした。」
************************************************************

まあなんとかわかる日本語になってるかな。慣れてくればもうちょっとスタイルもかっこついてくるだろう。

consensus reality (CR)はよく言われるが、上のCRは実はconsensual realityである。まあ同じだと思うが。

日本ではなんと言ってるのかな。コンセンサス・リアリティかもしれない。

そうか、本を翻訳する助走として、ときどきこのブログでプロセスワークの英語の本の一節を翻訳してみるというのもおもしろいかな。

安楽で静かで幸福な生活 10/14/09

渡辺京二著の「逝きし日の面影」は『江戸時代の平等』などで紹介した本だ。

450頁にフランス人のエミール・ギメ(1836-1918、1876年に日本に滞在)の言葉が引用されている。

「日本人は何と自然を熱愛しているのだろう。何と自然の美を利用することをよく知っているのだろう。安楽で静かで幸福な生活、大それた欲望を持たず、競争もせず、穏やかな感覚と慎ましやかな物質的満足感に満ちた生活を何と上手に組み立てることを知っているのだろう。」

上記のエントリーでも書いたが、こういうのを読むとなんとも切ない気持ちになる。

当時の江戸は田園と町並みが混交する不思議な魅力を持った都市だったらしい。

私の老母は毎日よく庭仕事をして、多種類の花が咲き、野菜が採れ、八朔やびわや柚子の木のある裏庭を美しく維持していて、近所に野菜をあげたり、通りかかりの人が花をほめたり、ときには求めて持って行ったりするのを楽しみにしている。

ポートランドの私の家の裏庭は無花果や梅やミズキが生い茂ってなかなかいい感じだけど、昔の江戸のような手入れの行き届いた文化の匂いはない。

休耕田の雑草に住む虫とたわむれて育った私には庭の手入れのイメージが湧かない。

1924年生まれの母と1953年生まれの私では江戸時代からの距離が違うのか、単に私が怠け者だからか、わからないが。

今日はそんなに書くことはない、ただ上の引用を書きとめておきたかっただけ。



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非言語の言語化 10/13/09-b

言葉をしゃべる者』で、言葉をしゃべる者になることが自分の使命なのかなと考えてみた。

これはたとえばセラピストとかファシリテータとかいう仕事と比べるとずっと私の実人生につながっている。

過去二十数年翻訳と通訳で食べてきたのだから。

ところが、MACFOCのトレーニング中に私は何度か何か言おうとして、それがファシリテータに通じないで何度も聞き返されて困惑したことがある。

こういうことについては、『Weirdな涙』で「十分な力のない少数派は、主流派から見た場合に混乱とか暴力とか狂気とか病気としてしか自己を表現できない」とフレーミングしてみた。

謙虚さについての渦巻状論理』で触れたが、私は何が言いたいのかはっきり聞き手にわからない言い方をすることがある。

意識的にやっているわけではないが、なんで難解な表現が出てくるかというと、言葉で表現しにくいことをなんとか表現しようともがくからだろう。

言語体系というのは、この世の全てのことを表現できると暗に主張しているものだが、外国語を学んだ者なら、どうしても翻訳できない言葉はいくらでもあることにすぐ気がつく。

だからある感情経験を表現しようとしても言葉が存在しないということはいくらでもありうる。

トルストイは、これまで表現されたことのない感情に言語表現を与えるために一つの小説を書いたという。

そういう言葉の構築が私の使命だと考えると、今までの人生の軌跡ともつじつまがあっている。

幼いころに言葉のない世界で虫や蛙と遊び、中学高校でやはり言葉とあまり関係のない星に親しみ、大学では陸上で肉体の練磨を経験し、大学院では生物物理で自然科学の実践と言葉を学び、さらに、ラジニーシの精神世界、禅の世界、そしてプロセスワークの世界を学んできた。

個人生活ではアメリカに住み、アメリカ人のつれと生活し、子供を育てているから、アメリカの英語の世界も知っている。

(こうして見ると言葉への興味は大学院に入ったころからだとわかる。それまでは小説なんてSFしか読めなかった、そういえば。)

つまり、言葉のない世界で遊泳する経験が十分にあり、そのベースの上に言葉として自然科学の言葉と宗教の言葉と心理学の言葉を学んできている。

深層民主主義というのは全ての声を聞くということなのだが、聞くためには声がまず発せられなければならない。

プロセスワークのいいところはシグナルへの感受性を訓練するところだが、それにしたってシグナルの解釈はやはりファシリテータの知っている言葉の範囲でしかできない。

あ、そうじゃなくてPWでは参加者がシグナルの意味を見出すのをファシリテータがサポートするんだ。

この場合でもシグナルの意味が参加者自身の言語表現可能性の範囲外だったら、その意味はグループにとっていつまでも二次プロセスに留まる。

まあそれでもグループに参加した人は何かを受け止めるだろうが。

少数派の声が本当に聞かれるためには、まず聞こえるような声を作っていかなければならない。

その言語化の作業が私の仕事、ととりあえず言っておく。

とりあえず、というのは、もうすでにそれに対する反論が聞こえているからだが、ここではまだ書かない。このエントリーのメッセージをくもらせたくないので。


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踊りのプロセス 10/13/09

一昨日、ディプロマのコホート2のパーティに行って、よく踊った。

踊りのステップは知らないし、そもそも足が不器用なのでやみくもに身体を動かす。

最初はどんな風に動けば気持ちいいかわからない。

カーペットに寝転がったり、座ったり、四つんばいになったり、立ち上がって走り回ったり身体を揺らしたり。

二人で合わせて踊っている人々を見ていいなと思うが、こっちは自分の動きすらぴんとこないので人に合わせるどころではない。

ときに近づいて何か合わせようとしても自然に身体が離れていく。

二時間くらい踊ったり休んだりするうちに、なんとなく音楽と身体の動きに調和がでてきた。

それにしてもコホート2の人たちはよく踊る。

そう言ったら「今回のレジデンシーはムーヴメントがテーマだったのでかなり動きのワークをした」由。

私もMACFOCの始めのころ、ムーヴメントのワークをしたかったが、ファシリテーションがメインなんだからとあきらめた記憶がある。いいなあ。

みごとに長時間踊っていた人と帰り際にちょっとハグして話した。

その人が去るときにふっと痛みを感じた。

歌にたくす思い』で気づいた別離の悲しみを抑圧する自分のパターンのことを思い出した。

別れの痛みを感じることはいいことだ、という思いと、これに刺激されて過去の別れのトラウマが浮上してきたら、という恐怖との間を揺れ動く。

踊ることで感情へのアクセスの通りが少し良くなったかな。

感情へのアクセスをブロックしているロールの意図を好意的に理解することも大事だろうな。


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コホート制による弱い少数派のサポート 10/12/09

今日はPWIのトレーニングミーティングというものに初参加。

正規学生のトレーニングに関することを話しあうというミーティングだと理解していたので今までは参加しなかったのだが、PWを学ぶ者なら誰でも出られるという通知を見て行ってみた。

ディプロメートの参加としては、MACFOCの四人の創始者のうちの三人が参加するという豪華版であった。

興味深かったのは、コホート性以来PWのコミュニティが一つのコミュニティからコホートごとの数個のコミュニティに分かれて、その間のつながりが薄くなっているという、コホート外の人からの指摘。

コホートの学生からはコホートによる緊密なサポートの良さが指摘された。

また、他のコホートやコホート外の人たちとの交流を強く求める声と、自分のレジデンシーをこなすだけで精一杯で、外との交流まで手が回らないという声もあった。

やや話が変わって、ディプロマコホート2の授業の中でスーパービジョンをするときに、積極的に「わたしがやりたい!」と言えない人のケアもしてほしいという声。

シャイな人のケアということなので私も聞き耳を立てた。

PWI全体として、人種差別にもっと本気で取り組んで欲しいという声がここでやや唐突に上がった。

すると、シャイな人のケアということと人種差別のケアというのはつながっているのではないかという指摘が出た。

シャイを文化的な属性とみなせばたしかにそうも言えると思った。

つまり今のPWIの教え方では外向的な文化に属する学生を自動的に優遇することになるということだろう。

ここで一つなるほどっと思ったことがあった。

ディプロマコホート2はシャイな人が多いという。

人種差別についての気づきを求めたのは人種的少数派を含むMACFOCのコホート3の人だ。

つまり、両方とも自分のコホートのメンバーを代弁してPWIに物申している。

さきほどコホート制による緊密なサポートの良さ、と書いたが、これがその好例だろう。

十数人が何度も集中的に一緒に切磋琢磨することで、コホートの中にいる少数派への気づきがいやでも高まる。

今までのPWコミュニティのゆるい関係性ではこぼれがちだったかもしれない少数派への目配りがコホート制になって可能になってきたのかも、と思うとうれしい気がする。

私がこれまで何度か弱い少数派のサポートがプロセスワークの課題だと書いてきたこととこれはつながっているのだから(『悪者ロールのサポート』、『弱い少数派のサポート』)。

セラピストの友達 10/10/09

アンチ・サイコセラピー』で紹介したJames Hillmanの本の共著者であるMichael Venturaという人が、自分の周りは妻も含めてセラピストばかりだと言っている。彼自身は作家である。

これを読んだとき、自分もそうなんだよな、と親近感を憶えた。

なんとなく気安く話ができる人というのは、特に女性の場合、セラピストとかカウンセラー的な人が多い。

ところが、セラピーの経験となると『セラピー恐怖への対処』に見るようにはなはだ不満足である。

この矛盾はいったいなんなんだ?

この矛盾が私の自己理解に大事じゃないかという感じがしている。

とりあえず考えているのはこういうことだ。

どうしても「ちゃんとした」クライエントになれない人間は、セラピストを職業とする人にとってはセラピストロールにはまりこまなくて済む気楽な相手になれるのかなということ。

こう書いてみるとちょっと自己批判を感じる。

友達としてセラピーの恩恵も受けてたじゃないか、という批判。

そう、友達的な平行関係だと私もけっこうセラピー的助言の恩恵を受けることがある。

でもセラピスト対クライエントという関係だとその通路が閉ざされる。

練習セッションのクライエントとしてけっこういい経験をするのは、セラピストがまだ学生でわりと同等に話せるからかなと思う。

プロセスワークのシニアのセラピストでも、平行な関係としてしゃべれればいいなと思っていたが、そういえば最近偶然話した何人かのディプロメートとの会話の感じは少しその方向に向かっているようだ。

これはうれしい変化だ。

ふう、内部批判者の声がうるさくて書きにくい。

でも書いておきたい。これ以上は書けないが。

あれ、でも読み直してみるとそんなにエッジーなことを書いてるわけじゃない。

ああそうか。俺はディプロメートと対等だぞって言ってるロールがいるんだ。

それに対して「お前もディプロマのトレーニングのきびしさを横で見ていて知ってるだろう。そういうトレーニングをやってないくせにでかいつらするんじゃないよ。」という批判ロールが立ってくる。

ここまで書かなきゃ読んでる人にはわからないよな。

対等ロールがそれにどう反論するか。

「俺みたいな人間にはいくらディプロメートだってたいして役に立ってくれない。だから自分で工夫しなくちゃ行けない。そういう意味で対等なんだよ。こういう人間にプロセスワークを役立てるためには俺の協力が必要なんだ。」

批判ロールはどう応えるか。

「お前一人に役立つためにプロセスワークがあるんじゃないよ。一人で工夫して一人で喜んでるだけじゃあ人の役に立たないよ。」

うむむ

「いや、今のセラピーのパラダイムに恩恵を受けていない人はけっこう多いと思う。セラピーが一般社会に浸透している今、そのことを認識することが大事。でないとセラピーがすごい抑圧の道具になってしまう。」

まあこれくらい書いとけば後で読んで自分で参考にできるかな。


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そうか、こういう慣れないことをしようとしている緊張から、人前に出せるような形で自分を規定しようとする動機が出てきてる。

そのこととこのエントリーの好戦的な雰囲気とつながっている気がする。

宴の後 10/9/09

昨日は友達への気持ちが素直に出てすごくうれしかった。

そうすると、どんどん人とコミュニケートしたくなる。

そして地面とのコネクションを忘れる。

それが昨日の『気が散ってる!』だと思う。

(『やるべきことがたまるばかり』、『集中できず』、『動けないあせり』も参考になりそう。)

地面とのコネクションという重しがないからちょっとした外からの風に吹きまわされる。

地面からエネルギーをもらうことができないからくたびれもする。

しかし、人とのコネクションに歓喜しているときに、地面とのコネクションの必要性を思い出すのは高等技術だ。

そういうときは物との関係性なんてことは忘れたい。

人とのコネクションの邪魔になるという感じがする。

ふむむ、この辺に鍵がありそうだ。

そういや前から人との関係性と物との関係性の間のハーモニーをいろいろ画策していたと思う。

物との関係性と茶碗』では、茶道などの所作事というのが人との関係性の中に物との関係性のモードを取り入れる仕掛けになっているのではないかと書いている。

何か一定の規則に従ったことを人と一緒にやること。となると接心くらいが私にとっては一番現実的な機会か。

禅センターの日曜の朝課を手伝ってもいい。


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気が散ってる! 10/6/09

猛烈に気が散ってる。

左側のコンピュータには二つの書きかけのメール、さらに二つのオンラインのディスカッショングループのサイトも開いてこれも書きかけ、畑の土を買う店のホームページ、PW友達のプロジェクトのホームページ、さらにyoutube、右側のコンピュータはスカイプ、このブログ、三年前のグループプロセスのビデオ、囲碁ソフトが開いている。

これらの間をせわしなく行き来しながら、キッチンに行って何か食べたり飲んだりしながら、キーボードが汚いからきれいにしようと考えながら・・・

このくらい落ち着きがないともうなんにもできないよ。

今日は練習セッションのクライエントになって、普段は出てこないような人恋しい気持ちが噴出して新鮮な驚きに満たされた。

その余韻が残っているのか、いつものようにこつこつとメールを書いたりするのがむずかしい。

いや、いつもとは違うことを書きそうで、つい指が止まってしまう、そういう感じかな。

つれが今日コロラドに里帰りしたのも関係しているか。

数日間いつもと違う時空間になる。

息子も日曜に野外合宿に行くので、三日くらいホームアローンになる。

あ、そうか、かなりすごい夢も見たんだった。

禅のK先生に、座禅中に中国語の禅の話を朗読する役をまかされて、読めないところがあるけどあせらずにこなすという夢が一つ。

もう一つは日本の昔の知り合いが風景画を描いているのを見る夢だが、下の方が東京のビル街で上は青空、右上にはまつぼっくりのような形の積乱雲。

積乱雲の左側が陰になって暗い灰色になっているところや、雲のひだひだがはっきりみえる総天然色の夢だった。

どうもひっちゃかめっちゃかのエントリーになったけど、「気が散ってる」というタイトルにはふさわしいか。


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