プロセスワーク関連のおぼえがき

2007年6月にプロセスワークのMACFOC(葛藤解決・組織改革修士課程)の一期生としてめでたく卒業しました。これまでの学びを日本語のおぼえがきという形で書くとともに、ほぼ二年を経た今、だんだん地金が出てきてプロセスワークから迷い出している部分も多いです。

内向瞑想と外向瞑想 11/12/09

昨日書いた禅センターのMyers-Briggsテストのクラスの中で、師匠のK先生が耳寄りなことを言ったので書き留めておく。

座禅の指導をするときに、相手が内向タイプか外向タイプ化で指導する方向が違ってくるのだという。

内向タイプはある一点に注意を集中してそこからぐっと深めていくように指導するとうまくいく。

その一点を掘り下げ突き抜けることで下にある広大なスペースに至るという感じ。

外向タイプは宇宙に向かって拡大していくようなフィーリングでやるように指導するとうまくいく。

自己が身体を、部屋を、家を、町を、そして地球を覆うように拡張していくことでやはり広大なスペースに至る。

私のはたとえばカーペットの一点をみつめていると、ふっとカーペット全体が、そして世界全体が生き生きとしてくるという感じなので、やはり内向タイプである。

友人が拡張型の瞑想について興奮して語るのを聞いて何を言ってるのかわからなかった経験があるので、このK先生の指摘はすごく納得できた。

ところで、この瞑想の方向性の違いと、自己観の違いが関連しているのではないかと私は思っている。

私は以前から自分が感じていることを身体の内部に感じるということがどうもできなくて困るという経験を再三していた。

私にとっては感情は偏在するものであって、一箇所にあるという感じはしない(『感情の居所』http://processkamakiri.blog109.fc2.com/blog-entry-25.htmlおよび『偏在するのは思考か感情か』http://processkamakiri.blog109.fc2.com/blog-entry-27.htmlを参照)。

もっといえば私にとっては自己そのものが偏在しているという感じがある。

だから瞑想としては一点に集中することでブレークスルーになる。

自己を身体の中にはっきり感じる人にとっては拡張型の瞑想がブレークスルーになるのではないか。

こう書いていて、上記のエントリーで思考型と感情型という感じの分け方をしていたときと、Myers-Briggsの思考タイプ、感情タイプという分け方とは違うみたいだなと感じてきた。

この辺、つっついてみるとおもしろいかも。

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INFPという性格タイプ 11/11/09

Myers-Briggsの性格タイプテストについては『性格テストの結果』で触れたが、あのときはアートグループの参加者がテストをやった。

今回は禅センターのリーダーシップクラスの参加者がテストをした。

私は日本にいてテストをしなかったが、自分の結果は知っている。

私はINFP、つまり内向(外向に対して)、直観(感覚に対して)、感情(思考に対して)、そして知覚(判断に対して)、である。

INFPはヒーラーであると言われている。

和を目指すという意味であれば私はたしかにそうだ。

今回の日本滞在でも行動の基軸は和を求めるという方向性だった。

自分の属するグループでコンフリクトが生じると私は突然活動的になる(『コンフリクト好き?』を参照)。

こう書いてみると私は苦情処理屋なのかもしれない。

あと、私の師匠のK先生が「若いころは自分はカメレオンみたいに人に影響されて色が変わるんで、自分のアイデンティティがなんなのかわからなくて苦しんだ」と告白していた。

彼の言ったことは私が『染まる人』で書いたことと似ているのでなるほどと思った。

彼はENFJで、直観と感情という点で私と似てる。染まるというのはこの二つに関係しているのだろうか。

一般にはアメリカではE(外向)3に対してI(内向)1の割合だが、禅センターのこのクラスの出席者では逆にIが3でEが1の割合だった由。

禅を好む人はやはり内向型が多いらしい。

もう一つなるほどと思ったのは、E(外向)は人に注目されることでエネルギーを得るし、I(内向)は一人でいるときにエネルギーを充填するという指摘。

これは私とつれの違いでもあって、よく議論したのでそうだろうなとは思っていたが、講師がはっきり言ってくれてすっきりした。

直観的ということについては『直観タイプの会話』などで触れている。

講師が「直観タイプは大局を見る」と言ったのには反発を感じた。

これはどうも、いつも大局ばかり見て実際的な身近な面を見ないという自己批判が頭をもたげたせいであるらしい。

それと、直観というのは匂いのようなもので、それを表現するときに大局的な表現になるとしても、そんなに論理的なものではない。

J(判断)とP(知覚)というのは要するに自然に計画的になる人とそのままほっとくといくらでも道草を食う人の違いといえる。

私は先天的には後者である。

子供のころいったん野原に出るといつうちに帰るとかいうことは全然考えずに蛙や虫と遊んでいた。

夏休みに毎日温度を測るとか日記をつけるとか計画的なことをしようとしてもできた試しがない。

ただ社会においてはJでないと機能できない面もあるので、必要に迫られてJになることがある。

そういうときは無理をしているからとても硬くなる。

F(感情)とT(思考)については、考えるのが好きな私がFであるというのは不思議ではある。

ただ、私の思考は直観を説明する道具であるというおもむきが強くて、思考独自の説得力を持っているわけではない。

また、スコアを見るとそんなにFの方に偏っているわけではない。少しだけである。

まあそんなもんかなと思う。

トヨタとナウシカ 11/10/09

今朝はJETRO主催のクリーンエネルギー関係の催しに出席。

トヨタ自動車の改田哲也氏がメインスピーカー。

肩書きはBR(Business Revolution)企業価値創造室長。

これだけでも普通の人でなさそうな感じだが、お話の方も普通でなくておもしろかった。

宮崎駿監督のもののけ姫とかナウシカとかトトロのシーンをスライドに使っているのがうれしかった。

風の谷のナウシカを私はすごく好きだし、トトロも好きな映画なので、これだけでも彼の話は印象に残った。

もののけ姫のシーンはサンと狼がよりそって同じ方向をみつめているところ。

これが、美女と野獣のアニメで美女と野獣が顔を近づけて見詰め合っているシーンと比較されていた。

前者は日本的な関係、後者は西洋的な関係の例として。

彼の話には一本の筋というものはなくて、間にi-REALというトヨタのコンセプト製品(一人乗りの椅子みたいな車)のイメージビデオをふんだんにはさんでいた。

彼が最初の方で言っていたのは、世界は産業化社会から情報化社会へ、そして今やconceptualizing society(訳語不明、概念化社会?)に移行しつつあるということ。

考えるのが好きな私にはうれしい展開だと思った。

また、人が自動車を使い、消費するというモデルから、人と自動車の間で交流し、コミュニケーションを持つという関係性のモデルへの移行についても語っていた。

これは物との関係性という私のこだわりテーマにもつながるなあと思って聞いていた。

トヨタは今業績不振である。プリウスは売れているが、彼によるとプリウスを買う人はプリウスが好きだからというよりは他に買いたい車がないから消去法の論理でプリウスを選ぶのだという。

彼は人のハートが喜ぶようなものを創りたいのだという。

会の後で彼と少し話す機会があったとき、地下足袋みたいな五本指の靴を履いた人がいて、足に自然な履物という概念が彼の目指す方向と一致しているという感じを受けた。

私がMBTシューズというものがあってこれも人が自然に立ち、歩けるように設計されていると説明したら納得した顔をしていた。

散漫な記述になったが、彼との邂逅を書き留めておきたかった。

(彼はDeniel PinkのWhole New Mindという本を勧めていた。)

プロセスワーク的なもの 11/9/09

日本滞在中間報告』で予告し、『プロセスワーク他流試合』で少し紹介した10月30日のグループプロセスは、私がメインファシでコミュニティファシリテーション研究所ののりおさんがコファシという構成。

ここ二年ほどそれぞれ独自の活動をしてきたのりおさん、二子さん、DAYAさんがこのグループプロセスの中で持ち味を生かしてファシリテーションに寄与してくれた。

私にとって目立ったのは「プロセスワーク的なしゃべり方」への参加者の反応と「何々についてプロセスワークではどう見るのか?」といった質問だった。

「プロセスワーク的なしゃべり方」というのは、自分はこう考える、と言わずに、自分の中にこういう感じもあるしああいう感じもあるというふうにいつも複数を列挙していく傾向のことらしい。

レストランで何が欲しいかと聞かれて「カレーの辛味にひかれるけど五目そばの出汁のコクもいいな、チキンサラダのすっきり感もいいし・・・」とえんえんとやられたらいらつく、というのと似た反応のようだ。

全ての声を聞くという深層民主主義の理想を自分の内宇宙で実践しようとすると、こういうややこしいしゃべり方になることがある。

これと関連してある特定のことに対してプロセスワークはどういう見方をするのかという質問が何回か出てきて、そのたびにプロセスワークのランクの高い人たちが直接答えないで迂回気味の発言をした。

私としては、たとえば十字路に来たら右か左かどっちに曲がればいいんですか、という質問をされたようなものだと思った。

今どこにいてどこに行こうとしているのかを知らなければその質問には答えられない。

しかしそんなことは質問してきた参加者だってわかっているだろう。

なのになぜこういう質問が頻発したのか。

上記の二つのエントリーでも少し書いたが、今の日本のプロセスワーク界は多中心でありそれぞれの紹介者が独自の道を歩んでいる。

また、さきほどの三人にしてもプロセスワークだけでなく他のいろいろな学びを取り入れている。

構造的に中心に位置する日本プロセスワークセンターも、ポートランドのプロセスワークからはかなり距離のありそうな富士見先生という独自の存在の影響を大きく受けている。

プロセスワークのコアになる何かはあるとしても、日本に持ってきた場合の表現型は多岐に渡っていて不思議はない。

もともとスイスとアメリカという西洋文化圏でユダヤ系アメリカ人を中心として形作られたプロセスワークをそのまま日本に移植するのは無理だろう。

それはユング心理学と河合隼雄氏の築いたものを比較しても明らかだ(といっても私自身どちらも半かじりだが)。

したがって、一人の紹介者のところでプロセスワークを学んだ人が別の紹介者のところに行って「なんだこれは?」と思うのは自然なことだ。

プロセスワーク的な見方は何かという質問が何べんも出たのは、多分質問者が自分自身の答えを持っているがそれをプロセスワークランクの高い人のいるところで言うのはエッジが高いので質問という形を取ったのだと思われる。

何がプロセスワークの本質であるかについて豊饒な議論が湧き起こってくる可能性を予告する出来事だったのかも。

いろんな流派のせめぎ合いと協力関係からどんな日本式プロセスワークが生まれてくるのか、楽しみなところだ。

「今、ここからすべての場所へ」茂木健一郎 11/8/09

茂木氏はかつて私も入っていたtribeというメーリングリストのメンバーだった。

そのとき禅がニヒリズムだとか空虚な人生につながるとかいった批判を茂木氏が放ったような記憶がある。

で、なんかけむたい人だなあと反発を感じた。

有名な「脳とクォリア」は半分くらい読んで挫折した。

思考が空回りしているみたいだと思った。

というわけであまり読みたい著者ではなかったのだが、日本にいるときに朝日新聞の芸術欄で日本人の高齢の画家と対談しているのを読んで、ふと興味を持った。

どんなことを言ったから興味を持ったのかももう憶えていない。

でも「今、ここからすべての場所へ」が近著だということが書いてあった。

今、ここ、というのは禅っぽい表現だなと思った。

日本を経つ前日、二週間で初めて本屋らしい本屋に行ったときにこの本のことを尋ねたら幸いみつかって、ぱらぱらとページをめくったらけっこうおもしろそうなので買った。

バックパックに入れて、成田への電車や帰りの飛行機の中で読んだ。

2/3くらいは読み終わった。

彼は人間への興味が私よりずっと強い:

「山の中に分け入り、森のさざめきを聞けば人々の情熱に交わることができるのであれば、都市など要らない。」(p44)

だから彼は都市に住むわけだ。

でも同時に、物との関係性とか物質への想いといった私のテーマに通じる発言もある:

「隣の人のセーターの赤い繊維がこの上なく鮮明で、巨大に見える。」(p48)

これはたとえばカーペットをじっと見ているとふっと生き生きと見えてくる瞬間の経験に近い。

「一つ一つ個性を持ち、私に語りかけてくるかのようなあの岩たちの暖かさであった。」(p54)

岩が語りかけてくるような感じ、そしてそのことを私なら愛されているというところを彼は暖かさと表現している。

「見渡す限りの砂漠がはるか彼方の地平線まで続いていく光景を前にして、初めて私たちの心の中にわき上がってくる希望、夢」(p100)

私の鬼の夢(『鬼の夢再考: 権威の特性』)で母の寝室から鬼に連れ出された私が見たのが砂漠だった。

その後の私の人生はこの砂漠に希望と夢を見出す作業だったとも言えるので、彼のこの発言は妙に近しい。

ウィキペディアで彼のことを調べたら、なんと私が長年居座った生物物理の研究室(同じ研究室ではなく多分近所の)に、ちょうど私が去るのと前後して入ってきたらしいことがわかった。

となると彼は私と同じ大学の同じ生物物理研究室という空気を数年吸ったことになる。

動かないが染まる人 11/7/09

今回の日本訪問では、『染まる人』というのと同時に動かない人という特徴もはっきり出た。

「動かない」というキーワードでこのブログのサイト内検索をすると実にたくさんのエントリーが出てくる。

今回会った研究室の後輩にも「変わらぬ様子に感じ入りました」という言葉をいただいた。

10/25のグループプロセスでは知らない土地に突然つれてこられた猫みたいに動きが遅かった。

帰ってくると今度は忙しいつれに「あなたとわたしはスピードが違う!」と言われた。

30年近く前も研究室の後輩にどんどん追い越された。

バグワン・ラジニーシ(OSHO)さんの弟子だったころは「あなたみたいな人はバグワンがやろうとしている運動の足手まといだ」と言われた。

禅センターでも後から入った人がどんどんクラスを教えたりしているのに私はあいかわらずほぼ平メンバー。

まわりで人が活発に動いて成長していくのに私は苔むした岩みたいに同じところにいる。

川底の岩が水と一緒に流れないようなものか。

と同時に染まりやすいというところもあるのがおもしろい。

表面的に染まりやすいから摩擦が起きず、中身の方は動かされないという感じか。

ちょっと別のフレーミングもある。

フォーカスとバラバラのインナーワーク: 書く原動力は?』では「動かないというのと、雲みたいに散漫としているというのは私の自己イメージだ。」と書いている。

手で押しても雲みたいに手ごたえがないというのと染まりやすいというのは相通じる特性だろう。

このエントリーには理屈を手に、感情を風にたとえて、私は理屈で押されても雲みたいに手ごたえなくて動かないが、感情という風には吹き流されると書かれている。

近しい人に感情をまっすぐぶつけられると私はたしかに動く。

つれとの関係性は私を日本からアメリカまで動かした。

今回の日本でのいろいろな動きも、DAYAさんをはじめとする日本のPW関係の友人たちとの関係性に動かされた結果だ。

恩返しに泣く』で不思議に思った私の浪花節的な感受性が作用しているようだ。

こちら側のダブルシグナル 11/6/09

昨日の『言えないと言うプロセス』では10/25のグループプロセスにおける参加者のダブルシグナルについて書いた。

書いた後でふと、「それじゃこっちのダブルシグナルはどうだったのか?」という問いが浮かんできた。

参加者側にいらつきが見えた。

それがコファシの私のダブルシグナルに起因している可能性はある。

自分のダブルシグナルを外部の助けなしに自覚するのはむずかしいが、ここでは頭の体操として試みる。

一次プロセスは本人の意識していることだからたやすい。

私の場合あの場面では慣れない日本の環境で日本人参加者を相手にしている不安と自分の日本人としての不適格性へのひけめとでかなりびくついていた。

だから一次プロセスはかなりランクの低いびくつきと言ってよい。

二次プロセスはどうだろう?

ポートランドというプロセスワークのメッカでグループプロセスに特化したMACFOCというプログラムを卒業し、その後も多数のグループプロセスに参加してきた者の持つ自信があっただろうと想像がつく。

私本人はその自信を意識していなかったから二次プロセスになっていただろう。

さて、これが私のダブルシグナルだったとして、本人の私はどう対応したらいいのだろう?

自信を持つ者に急に自己一致することはむずかしいだろう。

尊敬するディプロメートを思い浮かべて、その人ならここでどうするだろうと考えてみるという手はある。

これは関係性に強い人なら使える手法だ。

私は人との関係性は弱いので、むしろ畳とか座布団とかそこらにある物と同調してそこから二次プロセスをピックアップする方がいいかもしれない。

気持ちに余裕があれば、自信満々ロールを場に取り入れるということもできる。

いずれにせよ、ゴーストになっているロールを場に呼び戻すというグループプロセスの汎用ツールのバリエーションといえるだろう。

言えないと言うプロセス 11/5/09

10/25にDAYAさんのコファシとして参加したグループプロセスでは、参加者の間から「言いたいことがあるけど、ファシリテータがふってくれないから言えない」という指摘が再三出た。

これは典型的なダブルシグナルである。

言えないという一次プロセスと、ファシリテータに対して強く発言しているという二次プロセスが両方ともシグナルとして出てくる。

一次と二次の両方が同時に出てくると、対する相手はストレートに応答できないで妙にいらいらしたりする。

こういうときプロセスワークの教科書的対応は、二次プロセスのパワーを本人が意識するのをサポートすることだ。

たとえば「わあ、凄いパワーですね」と言って発言の勢いをこちらが感じていることを知らせること。

これによって本人がより自己一致できる(congruentになれる)。

相手の方もこれで対応しやすくなり、コミュニケーションがよくなる。

なんだけれど、そういうふうにスポットライトを発言者に当てることがいつもいいことかどうかはわからない。

そう言われても発言者は「だって言えないんだから!」とか「はぐらかさないで」と言うかもしれない。

抑圧された少数派はしばしば主流派の言葉に乗せて自分の気持ちをぶつける。

それは少数派というものはそもそも言葉をうばわれた存在であるからだ。(『Weirdな涙』の最後を参照。)

参加者が発言できるようにファシリテータが工夫する、というのは深層民主主義を謳うプロセスワーク的なグループにおいては主流派的コンセプトである。

主流派的コンセプトに沿った発言はいまだ無形のエネルギーを一定の方向に飛ばす道具の役割を果たす。

ファシリテータや他の参加者がその発言の表面的な意味を理解して、耳を傾けようとしても、発言者の方は語るべき言葉を持っていないという事態が生じる。

ここが実はプロセスワークの真骨頂を見せる場面なのだろう。

発言の内容以外の口調やしぐさというシグナルを解釈して本人のフィードバックを聞くか、あるいは場のシグナルを解釈してグループのフィードバックを聞くというプロセスが考えられる。

その場では何もできなくても、発言の言葉の内容だけにしばられずに場で起こっていることを理解しようとする意志を保てれば、と思う。

蛋白質のMolten-Globule(溶融球状)状態 11/4/09

超久しぶりに大学の研究室の後輩三人と会った。

今はそれぞれ大学の先生である。

いろいろなつかしい話をしているうちにうれしいニュースを聞いた。

当時私が提唱した球状蛋白質のMolten-Globule(溶融球状)状態というコンセプトがかなり認められているというのだ。

私の小論文は千以上の論文に引用されていて、しかも分子生物学の標準教科書といえるCellという本にMolten-Globuleのコンセプトがちゃんと記載されているという。

私は実に十年くらい研究室にいすわって、博士号を取れないまま、つまりオーバードクターにもなれずに研究室を去ることになったので、愛着のあるMolten-Globuleコンセプトが一人歩きして大人になっていてくれたことをとてもうれしく思った。

もちろん後輩や先生が学界であの論文をサポートしてくれたからここまで残ったのに違いないが、サポートするだけの内容があったのだということがうれしい。

今の私の興味は生物物理ではなくてプロセスワークであったり、物との関係性であったりするわけだが、自分の思考の産物に自信がもてないときにこのMolten-Globuleのことを思い出そう。

そういえばプロセスワークの理論面の考察、特にランク理論をもっと展開したいと思いつつなかなかできないでいる。

考え出すと話がぐじゃぐじゃになってあんまりこんがらがるのでこんなの聞いてくれる人ないよ、とMolten-Globuleのときも実は思った。

でも年月を経てみると、すごく簡潔でインパクトのあるコンセプトに見える。

ぐじゃぐじゃを恐れず辛抱強く付き合っていきたいもんだ。

染まる人 11/3/09

日本滞在中に友達と話しているうちに、私が「染まる人」であるということがあらためて認識された気がした。

大学院時代にはそれでずいぶん苦労した。

研究者や先生と話していると私はけっこうよくテーマを理解していて自分の特徴も出しているように見える。

ところが、一人で机に向かうとさっきまで明らかな形を持っていたイメージが煙のように消えてしまう。

だから、論文が書けない。

書けないから先生に相談すると、またわかった気になる。

だから「これで書けます」と言う、でもまた一人で書こうとするとだめなのだ。

こういう繰り返しで何年もそれこそ棒に振った。

そのころにもそのことに気づいていたが、関係性が未熟だったので同僚に助けてもらうこともできず、研究者としては沈没した。

一対一で話していると、自然に相手の考えに染まってくる。

それで話が盛り上がってすごく楽しかったりする。

別の人と話すと別な染まり方をする。

で、その二人と同時に会うとアイデンティティの危機になってすごく緊張したりする。

染まりやすさへの罪悪感や自己批判はずっとあった。

自分がない、ずるい、偽善的だ、信用できない、等々。

このごろ瞑想とかプロセスワークの修行のおかげで以前よりはこういう染まりへの気づきが出てきた。

そして、染まりやすさというのは使える特徴であるという認識も出てきた。

たとえば、染まりやすいということはよい聞き手になりうる可能性を秘めている。

グループプロセスの場合は、グループの雰囲気に染まっている自分への気づきを持つことによって、グループを内側に感じることができる。

今回の日本滞在ではこの辺の事情を体感させてもらえたと思う。


プロセスワーク他流試合 11/1/09

おとといは、最近生じつつあるプロセスワーク関連のグループワークなどのスケジュールのぶつかりについて、グループプロセスを試みた。

今回私がDAYAさんの招きで対談とグループプロセスのコファシをしたときに、藤崎亜矢子さんのPFPクローズドクラスやひろみずのりおさんのコミュニティファシリテーションのイベントと同じ日になったという個人的な経験からこのことを考え始めた。

Kさんから、何かイベントをやりませんかと言われ、のりおさんも来てくださるということがわかり、スケジュールの重なりについてのDAYAさんの思いを聞いたとき、このグループプロセスのアイデアが出た。

Kさんがすぐに告知してくださったが実はどんなことになるのか、実行可能なのかもやや霧の中にあるうちにさらに上記のお二人などと話し合い、さらに二子渉さんやあぜさんとも話す機会があった。

これは認定プロセスワーカー以外でプロセスワークに近いワークを提供しておられる人々を代表するグループだと思う。

というか私は彼らくらいしかそういうことやってる人を知らない。

なんて、このグループプロセスに結実したいろいろな動きを紹介していては煩瑣になって私自身くたびれるのでこの辺でやめておく。

当のグループでは私はメインファシ、コファシがのりおさんという、MACFOC卒業試験以来のコンビでファシリテーション。

三時間余りの濃いプロセスをどうにもまとめようがないが、これだけの学びを可能にしてくださった言いだしっぺのKさん、そしてのりおさん、DAYAさん、二子さん、そして参加者のみなさんの情熱と正直さにはどう感謝してよいかわからない。

これから少しずつここでの学びをほぐして書いていければと思っている。

他流試合というタイトルをつけたのは、DAYAさんたちが二年前から次第にそれぞれ独自の道を進み始めていることと、参加者の方々もファシリテーションとかプロセスワークということについていろいろな思いを込めておられるような感じがしたからだ。

そういういろいろな思いが有機的にひびきあうところを目撃できたのが最大の収穫だった。

宿題としては、これもたくさんあるが、特に場が豊かであるといってもそれはそれほど経験のない参加者からはその味わい方がわからないという声があったのが私の盲点をついていて貴重だった。

これからのブログの記事で豊かさが一部でも記述できればと思う。

もう一つ、ずいぶんいろいろな人が個性を出して発言、自己表現されていたが、もっと声をかけてくれれば発言できたのにという声もあった。

これは内気な私が外向的なポートランドのPWピープルに対して持っている批判でもあるので(速く反応できる人だけがプロセスに参加できるという感じ)、うーむと思った。

今の私は自分より大きな獲物を丸呑みした蛇みたいに、満足感とともに消化作業の緊急性を強く感じている。

グループにきてくれた方たち、準備段階でいろいろな思いを聞かせてくださった人たち、具体的な準備をしてくださった人たちにあらためて感謝して今日は筆をおく。

日本滞在中間報告 10・28・09

日本についたのが22日。

ノートパソコンを持ってきたのだが、ワイヤレスでつなげる場所がみつからず、困った。

ポートランドではほとんどどの喫茶店でもワイヤレスがあるし、スーパーのカフェテリアにもある。

ところが日本の喫茶店はそういうサービスはしていないらしい。

コンピュータを持ち込んで長居する客を嫌うらしい。

ここ数日何をしたか簡単に書いておく。

24日はDAYAさんとの対談。これは楽しかった。ファシリテーションと瞑想の関係とかを自由に話せた。

25日のグループプロセスのほうは参加者がファシリテータに文句を言うというプロセスが前面に出てきて、しかしその言い方に各人の個性が出ていて、自己紹介プロセスとして成功していたと思う。

私のほうは床に座ったきりあまり表に出ず、DAYAさんが主に活躍していて、チームワークの点で工夫がほしいところ。

二人ともポートランドにいるときとは動きが違うので互いにとまどいがあった。

参加者のKさんが何かセットアップしてくださるというので30日にも何かやることになった。

今回私が対談とかグループワークとかDAYAさんとやらせてもらったときに、他のPW関係の催しが複数ぶつかるということがあり、その辺の事情をプロセスしたら、と思ってそういうテーマでグループをやらせてくださいということになった。

隠れファシリテーションののりおさんがコファシを引き受けてくださった。

PWの流れをくむ、あるいは関連の人たちがいろいろな催しを企画してそれに参加してくださる人がいるという慶賀すべき状況にあって、日時の重なりも出てきている。

今まで自由にわが道を行くスタンスでやっておられた主催者にとってこのぶつかりはこれから増える傾向にあると思うので、それに付随して起こる気持ちの問題、関係性の問題、そして参加者にとっての問題についてワークできたらいいなと思っている。  

読者の皆さま、告知文を転載しておきますのでもしご興味があればお越しくだされば幸甚です。


*********************
皆様 こんにちは
米国プロセスワーク研究所大学院
葛藤解決組織変革ファシリテーション修士課程
第1期生として修了したお二人
大串みきおさん&廣水のりおさんに
ファシリテーターを依頼し、
和室にてのグループワークを企画しました。

みきおさんは米国ポートランド在住で、
今回、帰国にちなみ、一風変わった企画が実現しました。

みきおさんはアメリカのポートランド在住で一時帰国中、
ノリさんは日本在住ですが、
お二人の大学院修了後初の
コラボレーションによるグループワークです。
しかもお二人はマスターコースの最終試験のグループワークで
一緒にファシリテーションをして以来のチームファシリテーションだそうです。


今回のグループワークのメインテーマは
『プロセスワーク関連の催しにおけるさまざまな声を聴き合う』
となります。


●メインテーマについて
どのような集まりにおいても主催者、講師、ファシリテーターというサイドと
参加者、学習者というサイド、またその中にもさまざまな立ち位置があります。
プロセスワーク関連の催しにおいても
多様な立ち位置からさまざまな声があるように思います。
そういったさまざまな声を聴き合い、
メインテーマを巡る全体像に全員で迫っていきたいと思います。

●グループワークって?
メインテーマに関連するトピックを参加者から集めて
ひとつを入り口に話し合いから始め、
いろんな流れに乗って進みながら
テーマを巡る全体像に気づいていくことを目指します。
またメインテーマを通じて個人的な気づきを得ていく時間ともなります。
ふるってご参加ください。

◆日時 10月30日(金)18:15開場 18:30-21:30 22:00完全退室
◆場所 東京都・京橋区民館第6和室
※今回、会場内にはオブジェとして、
色とりどりの柔らかい布(無地)が何枚か置かれます。
(色布を参加させるようにすると
場の安全を守る働きがあるとも言われています)
◆参加費 3,000円
◆ファシリテーター
おおぐしみきお・プロセスカマキリ
ひろみずのりお
米国プロセスワーク研究所大学院
葛藤解決・組織変革ファシリテーションマスターコース第1期修了生コンビ
◆申込み・問合せ
お申し込みはコチラのフォーム(http://comfaci.com/mail/apply/)に
必要事項をご記入のうえお申し込み下さい。

※スペシャルコラボレーションですが、ファシリテーターの一人
ひろみずさんのコミュニティファシリテーション研究所で
お申込情報は管理いたします。
ご了承ください。

※ 二日以内(土日祝祭日を除く)に申込み受付完了のメールをお届けします。
受付完了のメールが迷惑メールとして処理されている場合がありますので、
受付完了メールが届かない場合は、削除済みフォルダや迷惑メールフォルダなども確認してください。それでも届かない場合は、お手数ですが再度お申し込み下さい。

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