日常生活の言語化 2/5/12
なんだかなんかなあという気分のときにこのブログを書くことが多い。
今朝、禅センターに行ったときに、自分のまわりには誰もいない、というずーんとくる寂しさを感じた。
これまでの経験で、こういうときは物との関係性への気づきが薄れていることが多いことを思い出し、意識を周囲の物にずらしたら確かに奇妙な寂しさは消えた。
『なまけ者の抗弁』、『やることがない』、『日常作業の吟味』あたりが参考になるかな。
そういえば、『日常作業の吟味』に書いたことは一部実践している。
ベリーズ旅行の始めから日常をかなり日記でフォローしているのだ。
おかげで一ヶ月で日記帳が半分以上消費されたが、まあこのくらいはいいだろう。
何かして一段落すると日記にちょこっと記録しておく。
こうすると、区切りがつくのと、自分がやっていることへの気づきが強化されるという効果がある。
私のやっていることはかつての家庭の主婦がやっていたことが多く、特に給料とか他人の評価という形でフィードバックが帰ってこない性質のものなので、自分で日記に書いとかないと、それこそ一日走り回って用足しをしていても、ふっと我に返ると何もしていないような気がしたりする。
ま、そうは言っても三食昼寝付きの生活ではあるんだけど。
何を言ってるのかな、今日はいつにも増して話に筋がないみたいだ。
いや、もともと言葉にしにくい日常的な感じを言語化しようとしてるから言葉が乱れてるだけだ。
今朝、禅センターに行ったときに、自分のまわりには誰もいない、というずーんとくる寂しさを感じた。
これまでの経験で、こういうときは物との関係性への気づきが薄れていることが多いことを思い出し、意識を周囲の物にずらしたら確かに奇妙な寂しさは消えた。
『なまけ者の抗弁』、『やることがない』、『日常作業の吟味』あたりが参考になるかな。
そういえば、『日常作業の吟味』に書いたことは一部実践している。
ベリーズ旅行の始めから日常をかなり日記でフォローしているのだ。
おかげで一ヶ月で日記帳が半分以上消費されたが、まあこのくらいはいいだろう。
何かして一段落すると日記にちょこっと記録しておく。
こうすると、区切りがつくのと、自分がやっていることへの気づきが強化されるという効果がある。
私のやっていることはかつての家庭の主婦がやっていたことが多く、特に給料とか他人の評価という形でフィードバックが帰ってこない性質のものなので、自分で日記に書いとかないと、それこそ一日走り回って用足しをしていても、ふっと我に返ると何もしていないような気がしたりする。
ま、そうは言っても三食昼寝付きの生活ではあるんだけど。
何を言ってるのかな、今日はいつにも増して話に筋がないみたいだ。
いや、もともと言葉にしにくい日常的な感じを言語化しようとしてるから言葉が乱れてるだけだ。
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