プロセスワーク関連のおぼえがき

2007年6月にプロセスワークのMACFOC(葛藤解決・組織改革修士課程)の一期生として卒業。これまでの学びを日本語のおぼえがきという形で書くとともに、いろいろ脱線も。三年はやろうという初期の構想は実現。読者の方々に感謝です。とか言ってるうちに4年目も過ぎました。多謝。

欧州安定メカニズムによる金融支配の完成 5/15/12

欧州安定メカニズム(European Stability Mechanism)というものがある。略してESM。

経済音痴の私だが、つまりこれはヨーロッパの経済危機を乗り越えるためには各国の意向に左右されない独立機関に強い権限を与えるしかないという論理で作られたものらしい。

私が見たビデオ(英語)によると各国はこのESMに指令されたら7日以内にどんな巨額の資金でも拠出しなければならないという規定になっているという。

さらに、ESMもESMの役員も、どの国からも誰からも責任を追求されることがないという完全免責条項まであるという。

要するにESMはヨーロッパの絶対君主になるのである。

資本主義の雪崩の前に立たないこと』と書いてから半年あまりになるが、ほんとに巨大な雪崩である。

1年前の『資本主義的差別と階級』に書いたような貧富の差による厳しい階級制度が完成しつつある。

2年前の『商人の天下取り』に書いたように、いったんある金融機関が世界支配を完成すれば、その後はいろいろな意味でものごとが穏やかになると私は希望的に予想している。

でもそれまではとんでもないことがたくさん起こるだろう。

私有財産を死守しようとすると牢獄に入れられたり殺されたりするかもしれない。雪崩の前に立ちはだかるとはそういうことだ。

特に民主主義をふりかざすのはまずいというのが私見である。民主主義は封建主義を根絶するために資本主義がサポートしてきたシステムであり、今や封建主義とそれに関連するコミュニティがばらばらになって所期の目的を達成した資本家は民主主義のサポートをやめている(『ポスト民主主義のプロセスワーク』を参照)。

誰かが全てを所有するようになれば、通貨には意味がなくなる。

いろんな意味でのコネの持つ意味が大きくなるのではないかと私は予測している。

関係性に弱い私には不都合なことだが、弱いなりにコネを大事にしていくつもり。

死にゆく人に付き添う 5/14/12

禅センターのメンバーが突然末期癌と診断され、センターの住居棟で介護を受け始めた。

一ヶ月前くらいに、ちょっと元気ないかなと思って尋ねたら、腫瘍がみつかってちょっと心配しているという答えだったが、二週間前にはもう悪性だと診断されて覚悟を決めていた様子だった。

昨日は介護の手助けをしに行ったら、後三週間くらいの命だと思っているとのこと。

彼のリクエストで、東海岸から駆けつけてくれていたお兄さんと一緒に彼の好きな公園に行ってピクニックテーブルでランチを食べた。

彼はしばらく芝生の上に横になって青空と日差しと、日陰を作ってくれている緑の葉をたたえた樫の木を眺めていた。

自然の水に浸かるのが好きだった彼はその公園の端から土手を降りて下の池に浸かったりして、そこはなつかしい場所のようだった。

足腰が弱っている彼の車の乗り降りや座った姿勢から立ち上がるのをサポートするのは慣れない私にはけっこう難しかった。

いつもと変わらない話し方だし、お兄さんとたわむれの口喧嘩もするし、余命幾ばくもないのを知りつつ淡々としているのに感心した。

死ぬっていうことは大変なことだけど、ごくありふれた事象でもある。

そんなことを思い出させてくれたひとときだった。



心理的傷と関係力 5/12/12

前からよく思ってたことだけど、育った家庭で虐待を受けたという人は関係性に強くて、関係性のがっちりしたネットワークを持っている気がする。

虐待という言葉は強すぎるかもしれない。

親子関係で苦労した人、というべきか。

親という強力な存在との関係性が難しかったためにいやおうなく関係性のスキルを学んだという感じ。

で、思ったのは、近い関係っていうのはきれいごとじゃできないってこと。

きれいじゃないというのはつまり、平等を規範とする現代のリベラリズムの観点から見るときれいじゃないのだ。

必ず上下強弱の差が出る。

現代のリベラルな人間観はその差を平等原理の侵犯と見て批判する。

それじゃそういう関係は止めましょうということになるとしかしおよそどんな関係性も生き残らない。

だから人々は関係性について正直に語らない。

あるいは自分がかかわっている不平等な関係性を批判することでリベラルな人間観への忠誠を証明しようとする。

しかし不平等性というのは関係性の本質なのだ。

何かが二人の人間の間に流れるから関係が生じる。

水位が同じでは流れは生じず、関係も生じない。

関係性が濃密な環境で育つとさまざまな上下差や強弱差を経験するから中には辛いものも必ずあるが、関係性の能力が発達するから社会適応力は強くなる。

私自身はリベラル思想の影響下で育っていて、関係性の能力は低いし、関係性に伴う上下や強弱の違いに敏感でなかなかうまく扱えない(プロセスワークによれば、自分が上だったり強かったりする場面には鈍感で、その逆に敏感、というのは誰でもそうだけど)。

今気づいたけど、昨日の『関係性について言及する関係と言及しない関係』が尾を引いてまだ関係性のことをぐちゃぐちゃと考えているんだな。

上下や強弱の違いの鬱陶しさを嫌って関係性に近寄らない私はリベラル思想の権化なんである。

私の心理的皮膚はなまっちろくて傷は少ないけど、ちょっとした付き合いで擦れて痛くなる。

心理的皮膚があざだらけの人はその裏に鍛え上げられた関係性の筋力を秘めているように見える。

ああなんか今日はいろいろ考えて書こうとしたけどたいしたこと書けてない。

意気の上がらないところで退却。


関係性について言及する関係と言及しない関係 5/11/12

人との関係性はいくら独居性の私でもある。

だけど、関係性について相手と話し合うというのはほとんどしない。

PW友と、関係性について言及する関係と言及しない関係の違いは大きいという点で意見が一致した。

私がセラピーとか非暴力コミュニケーション(NVC)から距離を取っているのは、一つにはこれらのメソッドが基本的に関係性に言及することによって成り立っているからだ。

言及されることによって関係性は市場原理に組み込まれていくような気がする。

私だって品物を買うときには利用価値と値段をなんとか比べようとする点で市場原理にもとづいて行動するが、身近な人との関係をそういう物差しで測るのはどうも釈然としない。

市場社会に住む我々は言葉を使うとどうしても「わたしはこれが欲しい」という形になりやすく、前にも書いたが欲望は現代人の心の中でもっとも汚染された部分である。

これだけ強力な企業の群れが我々の欲望を操作しようとあらゆる手立てを講じている時に、「自分はこれを欲する」というところから行動するのは奴隷を志願するようなものである。

(その方が気が楽だという利点はある。)

もう一つの懸念。『表現で死ぬもの』で書いたように、言葉は刃物、その基本的な機能は切ることだ。

白といえば他の色は切り落とされる。

したがって、一緒になる、一緒にいるという関係性に言葉を持ち込むのは、本来危険なことである。

恋人との寝床にナイフを忍ばせるようなものだ。

関係性が傷ついているときに、膿を出したり有害な要素を切り離すために言葉を使うことはできるが、言葉によって関係性を直接育むことはできない。

できるかもしれないけどそれは刃物の上を歩くような芸当だ。

だから私はI love youといった言葉はけっこうやばいと思う。

ま、でもこれは好みもあるかな。

庭でもつれはきちんと雑草を抜いて整然とした佇まいを好むが私はちょっと荒れて雑草がぼんぼん生えているくらいの方が気持ちが和む。

何はともあれ、関係性に言及する関係性と言及しない関係性は質が違うということは頭に入れておこう、どっちを選ぶにせよ。

贈り物としての統治 5・10・12

数日前の『個人的権利の落とし穴』に続いてJohn Milbankの思想をフォローする。

After Modernity? -- Secularity, Globalization, and the Re-enchantment of the world (James K. A. Smith, editor)という論文集の中にMilbankはThe Gift of Rulingという論文を寄せている。

論文集のタイトルは直訳すれば「現代性の後は?」となるが、つまり我々が現代と呼んでいる思想状況の次にくるのはなんだろうというようなことだ。

副題は世俗性、グローバリゼーション、および世界の再魔法化とでもいうのかな。

この三つは時系列に沿っていると思われる。

すなわちまず世俗化があり、次にグローバリゼーション、そして世界の再魔法化。

このenchantment(魔法)という言葉は魅惑するという意味もあり、世俗化の対極を意味しているようだ。

1960年代に育った私の世代はSF小説に魅力を感じたが、やがてファンタジー小説が勢いを得てきて、娘などはハリー・ポッターを頂点とする多種多様なファンタジー小説を読みながら育った。

そういう世の中の動きと、re-enchantment(再び魔法化する)というこの論文集のテーマは呼応しているように見える。

enchantmentは多分enlightenment(啓蒙)の対極でもあるのだろう。

1960年代に私が読んでいた鉄腕アトムは「心正しい科学の子」だった。

つまり、啓蒙思想と心の正しさの間には矛盾がなかった。

今では科学の産物をあっさり「心正しい」と形容することにほとんどの人は躊躇を感じるだろう。

Milbankの論文はThe Gift of Ruling。これも一癖あるタイトルだ。

リベラル思想ではすべてを与えるが支配はしない母なる地球というのが神聖なイメージになっている。

Milbankは統治(ruling)も贈り物なんだと言う。

わかりにくい言い方で申し訳ないが私自身の理解がはっきりしないのでご勘弁を。

ただ、Milbankが言っていることには何か重要なことが含まれている気がするのでとにかくこうやって書き付けている。

ホリデーシーズンとお盆』で書いたこと、「たとえば今のアメリカは保守とリベラルが鋭く対立しているが、多くの家族は家族内に保守とリベラルを抱えていて、家族がホリデーシーズンでひさしぶりに出会っても会話のテーマを慎重に選んで不愉快なぶつかりあいを防ごうとする。」

知り合いの非常にリベラルな人たちを見ていると、親や祖父母がキリスト教の聖職についていたというケースが結構多い。

彼らは聖書や慣習に基づく上の世代の理不尽な支配に反抗して自由を主張し、家族から離反して同じ思いを共有する人々と共にリベラルな宗教に入ったり、リベラルな政治運動に入ったりしている。

したがってリベラルな人たちは支配とか統治とかいうことへの生理的な反発が強い。

ところが、統治されることを嫌うあまりに統治ということ自体に盲目になり、かえってとんでもないリーダーに支配されたりする。

身近な例で言えばラジニーシ運動だ(参考:『ラジニーシ事件に思うこと』)。

70年代のヒッピー運動の流れの人たちに自由な瞑想集団として人気を集めたラジニーシ組織は専制的なリーダーに完全に牛耳られた。

多くの人たちが統治ということを嫌ったために、このいやな仕事を引き受けた人間が何をやっているかについて注意を払わなかったからだと私は思う。

統治すること、されることがポジティブな経験であるという可能性を親世代への反抗心のあまり失っていたのだ。

Milbankが「贈り物としての統治」というタイトルで論文を書いた理由はこの辺と関連しているはずだ。

リベラルな人たちが活躍できるのはある意味親世代の道徳観をまだ身体に保っていて、統治されることもすることも子供時代の経験として保持しているからで、彼らの子供世代がけっこう苦労する。

リベラルな親は自分が自由という素晴らしい贈り物を子供に与えているのに子供がちっともありがたがらないばかりか鬱になったり麻薬に走ったりするのを慨嘆する。

21世気になってこうしたリベラル界の統治教育の不足を補填するためにリーダーシップセミナー的なものが雨後の筍のように林立してきている。

リベラルはリーダーという言葉に神経を尖らせる場合もあるので、ファシリテーションとかコーチングとかいう代替語が出てくる。

私がやったプロセスワークのMACFプログラムもファシリテーションが主だった。

こういうメソッドはみんな(と根拠なく言ってしまうが)統治関係を確立しつつ、しかし被統治者に統治されている感覚を持たせないような一種の詐術であるような気がする。

詐術だからいかんというのではない。詐術を通してでもなければ統治を受け入れられない方が問題なのだ。

はは、論文のタイトルの感想だけでずいぶん書いてしまった。

前のめりをやめる 5/9/12

最近、チョコレートを毎日食べていて、コーヒーも自然食品店のサンプルをほぼ毎日飲んでいた。

ちょっとやりすぎかなと思っているときにスーパーの薬品部にある血圧測定器で血圧を測ったら、高い。

で、チョコレートとコーヒーをしばらく控えようと思い立った。

昨日から。だからまだ二日目だ。

今日はなんか書こうとしても頭がぼーっとしている。

これ、刺激物を摂らなくなった反動かな。

文章を書くというのが大仕事に見える。

気持ち的に前のめりでなくなって、まっすぐぼーっと立ちつくしてる。

前進しなくちゃというあせりもある。たとえば翻訳を進めなくちゃいけないとか。

でもそういう雑音にもかかわらずすっと立っていることが今は大事らしい。

水泳も、今日気づいたけど、かつては身体が重いせいもあり、がんばって速く泳がないと沈没するという懸念が強かった。

このごろ、クロールでもバタフライでもゆっくり泳ぐ技術ができてきた。

前のめりじゃないからまわりも見えやすい。

プロセスワークとAIの組み合わせ 5/8/12

国際プロセス指向心理学協会(International Association of Process Oriented Psychology: IAPOP)の大会が最近チューリッヒであった。

私はもちろん行かなかったが、日本プロセスワークセンターを実質的に運営しているKさんとTさんの発表の予行演習というのを見せていただく機会があった(参考:『プロセスワークを日常生活やビジネスに応用する動き』)。

発表者は四人、お二人に会社関係の方二人が加わっていた。

テーマは、会社環境でプロセスワークとAIを組み合わせて使うというもの。

AIはAppreciative Inquiryの略。

欠点を直すよりもうまくいっていることを伸ばしていくような組織運営法、という感じらしい。

アメリカではやっている「褒める教育」と似たような話かなと思う。

なんでプロセスワークとAIを組み合わせるのかという発想が興味深かった。

彼らの説明を私が理解した限りでは、プロセスワークだけだとちょっときつい部分があるということ。

エッジを越えようとすることとかゴーストロールを拾おうとすることとか、そういうことかなと思う。

たしかに二次プロセスに向き合うのはちょっと覚悟がいるし、楽しいというものではない。

AIは本質的に楽しい感じが伴うらしい。

ポジティブな面に目を向けていくんだから。

ただ、場合によってはポジティブなことを言えない状況がある。

批判的なゴーストロールが場を支配している場合とか。

こういう場合にプロセスワークの手法が有功になる。

つまり、AIは一次プロセスで場を扱うから、ネガティブな二次プロセスが場に影響しているときにはわりと無力なわけだ。

もちろんこれはAIについて無知な私の推論だからあてにならないが、そんなに大外れでもないと思う。

スライヴの感想 5/1/12

スライヴ(Thrive)というビデオ、二子渉さんや珠帆さんがFBで言及していたのでざっと見てみた。

金融による世界経済支配のしくみという話は前にも聞いたけど、このビデオでよく説明されていると思う。これだけでも見る価値あるかも。ビデオの始めから1時間前後からかな。

前半に出てくる永久エネルギーの話はまゆつばだ。それに、もし実現したとするとエネルギー消費の必然的な廃棄物である熱でそれこそ世界の終わりになりそうな気もする。

エネルギーをもっと使えばこれもできるあれもできるという思考法に手綱をひけるまでは、こんな発明はおあずけにするべきだ。原子力の例を見ればわかる。

自動車が出てきたときも、これで馬糞公害から救われると人々は安堵したのである。

後半に出てくる解決法の部分はものみの塔の出版物と雰囲気が非常に似ている。

だから悪いということはないが、どこかで視聴者の判断力を麻痺させようとしているような怪しい後味が残る。

原子力で明るい未来を、というポスターと感じが似ていることに危惧を覚える。

また、ナレーターは個人の権利を守ることが大事という主張を何度か繰り返しているが、『個人的権利の落とし穴』に書いたように、個人の権利というのは突き詰めると相当ヤバいものだと思う。

とかいろいろ悪口書いたが、これを見た人同士が語り合うことでお互いへの理解が深まるというご利益はあると思う。

たとえば鈴木則夫氏の感想は読み応えがある(二子さんからのシェア)。

坐禅を深めたくない? 5/6/12

G先生と参禅。

座禅を深めるということがぴんとこないというやや身も蓋もない質問をしてみた。

もちろんそんなことで動じるG先生でもない。

心の雑音が静まれば周囲の世界の息吹が感じられる。それ以上に静まってもしょうがないような気がする。

来週は接心だけど、今はつれとの生活がうれしいので、うちを離れて何日も接心する動機がないとも言った。

G先生は「それで満足しているのか? それとも何か深めることに対する恐れがあるのか?」と問い返してきた。

ふと思ったのは、修行してフォーカスする力が増したとき、自分の意図がクリーンでないとかえって周囲に災いをもたらすという恐れを確かに持っているということ。

そう言うと、「それはたしかにある。コミュニティがそういう逸脱を抑えてくれると自分は期待している。自分が釘を刺す場合もある。」という答え。

無理に修行に突き進むことはないが、ある程度は進める方向にプッシュしないとだんだんだれてくる、とも言われた。

なんとなくほっとした。

一人モードに戻る 5/5/12

20年間沖縄の無人島で裸で暮らす男性の話に妙に惹かれた(長崎真砂弓(ながさきまさみ)さん、76歳)。

と思ったら今度は放射能が高い福島県富岡町に一人居残って牛や犬たちの世話を続ける松村直登氏の話

印象に残ったのは二人共「ここが自分の死に場所」という気持ちが定まっていて、ぶれていないこと。

他に誰もいないところで一人で暮らす男って言うとやっぱりロビンソン・クルーソーが一番有名だが、この本は18世紀のイギリスの商人たちに愛読されたらしい。

人間以外の動植物、鉱物に囲まれて一人で暮らすっていうのはある意味理想の生き方だ。

人間の悩みのほとんどは人間関係の悩み。

人間がいないところでももちろん周囲の世界に対応していけなければ生きていけないが、ストレスの種類が違う。

集団の熱の危険と使い方』で書いたように人間同士の関係は集団の狂気を生み出す傾向が非常に強い。

お互いに他の人間の意向を感じずにいられるスペースを持てるように協力し合う、というのが唯一健全な人間関係だ。

18世紀のイギリスの商人たちはロビンソン・クルーソーを読みながら心の中に孤島で一人生活している感じを保ち、元気を回復していたのだろう。

社会生活をしながらも、一人の感覚を保っていくというのが有史以来の人間の生きる知恵だと思う。

一人と言っても、長崎さんも松村さんも動物たちとじっくり付き合いながら生きていて、都会の人間関係に疲れて閉じこもって生きている人よりもずっと世界とつながっている。

私がしつこく書いている物との関係性も、一人の方が感じやすい。

ふむむ、今日は禅センターの月一回の夕食会があるんだけど、行く気にならない。

この感じと、孤島で一人暮らしの話に惹かれることとは多分通じ合うんだろうな。

しばらく読みさしていたPLUTOをまた読み出しているのも一人ムードとつながってるんだろう。

蛸男海に帰る』でしばらく陸で遊んだ蛸が海に戻ってほっとしている、そんな状態か。

接心の代わりにテーバー山で受容的視線を試みよう 5/4/12

10日後に伝光会(でんこうえ)接心がある。

接心に参加しなくなって数年経つ。

このごろ禅センターとの縁がまた深まりつつあり、接心に行ってみようかなとも思う。

それと同時に、何か違うとも思う。

深さは今目指している方向ではない。

心の雑音は、周囲の世界が息づいていることに気づけるだけ静まればいい。

座禅を深めれば何か広大な世界が広がるということらしいが、そういうのはあまり興味がない。

禅センターのみんなが接心をやっているときに、私も何か特別のことをしたい気持ちはある。

テーバー山参り四日目の感覚変化』で触れたテーバー山にまた毎日登ってみるかな。

坐禅じゃなくてただ周囲の物を受容的に見つめることをいつもより意識的にやってみるというのもいい。

テーバー山に登るときに特にそれを意識すればいいか。

父と息子の関係 5/3/12

男の感情表現を強いる虐待はイニシエーションか?』で触れたプロセスワークのメンズグループの続き。

今日を含めて6週間連続という試み。

今日はしかしファシリテータ以外は僅か二人。

とはいえ人数が少ないからこそのなかなか人情味のある会話になった。

男のポジティブなイメージはという質問がまずファシリテータから出た。

私は『男らしさとは』で触れたシャイアンの若者たちのことを話した。

そして、「男はファミリーを守ってこそ男」と言った。

他には、「ベストを尽くせと言ってくれた父」とか「いろんなことをうまくやる父」とかが出てきた。

いつしか話は父親と息子の間の関係に移っていった。

自分の父親は狩猟や釣りに連れていくばかりでもっと広い経験を自分に与えてくれなかった、という話を聞き、そんなに何度も父親に連れて行ってもらえてうらやましいと思った。

考えてみれば、趣味が合わないと父子関係というのはうまくいきにくいのかな。

私の父はドライブに行くのが大好きだったけど、私は子供のころ車酔いがひどくて車に乗るのは嫌いだった。

自分の息子の場合でも、サッカーやピンポンは私自身好きだったから一緒に楽しめたけど、ビデオゲームはどうもそんなに好きになれなかったので、彼が夢中になっていた数年間、あまり付き合えなかった。

趣味が合わなくってもお互いに相手に興味を持って付き合えるんじゃないかという声も出た。

うーんどうかなあ。

なんか英会話の練習とかお見合いとかを思い出すなあ、そういう感じって。

相手に興味を持つと言ってもたいていのことはもう知ってるわけだし、今更詳しく聞いておもしろいようなことがそんなにあるかなという気がする。

なんにしても、父の息子の関係についてちょっと気持ちが開けた気がする。

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