プロセスワーク関連のおぼえがき

2007年6月にプロセスワークのMACFOC(葛藤解決・組織改革修士課程)の一期生としてめでたく卒業しました。これまでの学びを日本語のおぼえがきという形で書くとともに、ほぼ二年を経た今、だんだん地金が出てきてプロセスワークから迷い出している部分も多いです。

こちら側のダブルシグナル 11/6/09

昨日の『言えないと言うプロセス』では10/25のグループプロセスにおける参加者のダブルシグナルについて書いた。

書いた後でふと、「それじゃこっちのダブルシグナルはどうだったのか?」という問いが浮かんできた。

参加者側にいらつきが見えた。

それがコファシの私のダブルシグナルに起因している可能性はある。

自分のダブルシグナルを外部の助けなしに自覚するのはむずかしいが、ここでは頭の体操として試みる。

一次プロセスは本人の意識していることだからたやすい。

私の場合あの場面では慣れない日本の環境で日本人参加者を相手にしている不安と自分の日本人としての不適格性へのひけめとでかなりびくついていた。

だから一次プロセスはかなりランクの低いびくつきと言ってよい。

二次プロセスはどうだろう?

ポートランドというプロセスワークのメッカでグループプロセスに特化したMACFOCというプログラムを卒業し、その後も多数のグループプロセスに参加してきた者の持つ自信があっただろうと想像がつく。

私本人はその自信を意識していなかったから二次プロセスになっていただろう。

さて、これが私のダブルシグナルだったとして、本人の私はどう対応したらいいのだろう?

自信を持つ者に急に自己一致することはむずかしいだろう。

尊敬するディプロメートを思い浮かべて、その人ならここでどうするだろうと考えてみるという手はある。

これは関係性に強い人なら使える手法だ。

私は人との関係性は弱いので、むしろ畳とか座布団とかそこらにある物と同調してそこから二次プロセスをピックアップする方がいいかもしれない。

気持ちに余裕があれば、自信満々ロールを場に取り入れるということもできる。

いずれにせよ、ゴーストになっているロールを場に呼び戻すというグループプロセスの汎用ツールのバリエーションといえるだろう。

言えないと言うプロセス 11/5/09

10/25にDAYAさんのコファシとして参加したグループプロセスでは、参加者の間から「言いたいことがあるけど、ファシリテータがふってくれないから言えない」という指摘が再三出た。

これは典型的なダブルシグナルである。

言えないという一次プロセスと、ファシリテータに対して強く発言しているという二次プロセスが両方ともシグナルとして出てくる。

一次と二次の両方が同時に出てくると、対する相手はストレートに応答できないで妙にいらいらしたりする。

こういうときプロセスワークの教科書的対応は、二次プロセスのパワーを本人が意識するのをサポートすることだ。

たとえば「わあ、凄いパワーですね」と言って発言の勢いをこちらが感じていることを知らせること。

これによって本人がより自己一致できる(congruentになれる)。

相手の方もこれで対応しやすくなり、コミュニケーションがよくなる。

なんだけれど、そういうふうにスポットライトを発言者に当てることがいつもいいことかどうかはわからない。

そう言われても発言者は「だって言えないんだから!」とか「はぐらかさないで」と言うかもしれない。

抑圧された少数派はしばしば主流派の言葉に乗せて自分の気持ちをぶつける。

それは少数派というものはそもそも言葉をうばわれた存在であるからだ。(『Weirdな涙』の最後を参照。)

参加者が発言できるようにファシリテータが工夫する、というのは深層民主主義を謳うプロセスワーク的なグループにおいては主流派的コンセプトである。

主流派的コンセプトに沿った発言はいまだ無形のエネルギーを一定の方向に飛ばす道具の役割を果たす。

ファシリテータや他の参加者がその発言の表面的な意味を理解して、耳を傾けようとしても、発言者の方は語るべき言葉を持っていないという事態が生じる。

ここが実はプロセスワークの真骨頂を見せる場面なのだろう。

発言の内容以外の口調やしぐさというシグナルを解釈して本人のフィードバックを聞くか、あるいは場のシグナルを解釈してグループのフィードバックを聞くというプロセスが考えられる。

その場では何もできなくても、発言の言葉の内容だけにしばられずに場で起こっていることを理解しようとする意志を保てれば、と思う。

蛋白質のMolten-Globule(溶融球状)状態 11/4/09

超久しぶりに大学の研究室の後輩三人と会った。

今はそれぞれ大学の先生である。

いろいろなつかしい話をしているうちにうれしいニュースを聞いた。

当時私が提唱した球状蛋白質のMolten-Globule(溶融球状)状態というコンセプトがかなり認められているというのだ。

私の小論文は千以上の論文に引用されていて、しかも分子生物学の標準教科書といえるCellという本にMolten-Globuleのコンセプトがちゃんと記載されているという。

私は実に十年くらい研究室にいすわって、博士号を取れないまま、つまりオーバードクターにもなれずに研究室を去ることになったので、愛着のあるMolten-Globuleコンセプトが一人歩きして大人になっていてくれたことをとてもうれしく思った。

もちろん後輩や先生が学界であの論文をサポートしてくれたからここまで残ったのに違いないが、サポートするだけの内容があったのだということがうれしい。

今の私の興味は生物物理ではなくてプロセスワークであったり、物との関係性であったりするわけだが、自分の思考の産物に自信がもてないときにこのMolten-Globuleのことを思い出そう。

そういえばプロセスワークの理論面の考察、特にランク理論をもっと展開したいと思いつつなかなかできないでいる。

考え出すと話がぐじゃぐじゃになってあんまりこんがらがるのでこんなの聞いてくれる人ないよ、とMolten-Globuleのときも実は思った。

でも年月を経てみると、すごく簡潔でインパクトのあるコンセプトに見える。

ぐじゃぐじゃを恐れず辛抱強く付き合っていきたいもんだ。

染まる人 11/3/09

日本滞在中に友達と話しているうちに、私が「染まる人」であるということがあらためて認識された気がした。

大学院時代にはそれでずいぶん苦労した。

研究者や先生と話していると私はけっこうよくテーマを理解していて自分の特徴も出しているように見える。

ところが、一人で机に向かうとさっきまで明らかな形を持っていたイメージが煙のように消えてしまう。

だから、論文が書けない。

書けないから先生に相談すると、またわかった気になる。

だから「これで書けます」と言う、でもまた一人で書こうとするとだめなのだ。

こういう繰り返しで何年もそれこそ棒に振った。

そのころにもそのことに気づいていたが、関係性が未熟だったので同僚に助けてもらうこともできず、研究者としては沈没した。

一対一で話していると、自然に相手の考えに染まってくる。

それで話が盛り上がってすごく楽しかったりする。

別の人と話すと別な染まり方をする。

で、その二人と同時に会うとアイデンティティの危機になってすごく緊張したりする。

染まりやすさへの罪悪感や自己批判はずっとあった。

自分がない、ずるい、偽善的だ、信用できない、等々。

このごろ瞑想とかプロセスワークの修行のおかげで以前よりはこういう染まりへの気づきが出てきた。

そして、染まりやすさというのは使える特徴であるという認識も出てきた。

たとえば、染まりやすいということはよい聞き手になりうる可能性を秘めている。

グループプロセスの場合は、グループの雰囲気に染まっている自分への気づきを持つことによって、グループを内側に感じることができる。

今回の日本滞在ではこの辺の事情を体感させてもらえたと思う。


プロセスワーク他流試合 11/1/09

おとといは、最近生じつつあるプロセスワーク関連のグループワークなどのスケジュールのぶつかりについて、グループプロセスを試みた。

今回私がDAYAさんの招きで対談とグループプロセスのコファシをしたときに、藤崎亜矢子さんのPFPクローズドクラスやひろみずのりおさんのコミュニティファシリテーションのイベントと同じ日になったという個人的な経験からこのことを考え始めた。

Kさんから、何かイベントをやりませんかと言われ、のりおさんも来てくださるということがわかり、スケジュールの重なりについてのDAYAさんの思いを聞いたとき、このグループプロセスのアイデアが出た。

Kさんがすぐに告知してくださったが実はどんなことになるのか、実行可能なのかもやや霧の中にあるうちにさらに上記のお二人などと話し合い、さらに二子渉さんやあぜさんとも話す機会があった。

これは認定プロセスワーカー以外でプロセスワークに近いワークを提供しておられる人々を代表するグループだと思う。

というか私は彼らくらいしかそういうことやってる人を知らない。

なんて、このグループプロセスに結実したいろいろな動きを紹介していては煩瑣になって私自身くたびれるのでこの辺でやめておく。

当のグループでは私はメインファシ、コファシがのりおさんという、MACFOC卒業試験以来のコンビでファシリテーション。

三時間余りの濃いプロセスをどうにもまとめようがないが、これだけの学びを可能にしてくださった言いだしっぺのKさん、そしてのりおさん、DAYAさん、二子さん、そして参加者のみなさんの情熱と正直さにはどう感謝してよいかわからない。

これから少しずつここでの学びをほぐして書いていければと思っている。

他流試合というタイトルをつけたのは、DAYAさんたちが二年前から次第にそれぞれ独自の道を進み始めていることと、参加者の方々もファシリテーションとかプロセスワークということについていろいろな思いを込めておられるような感じがしたからだ。

そういういろいろな思いが有機的にひびきあうところを目撃できたのが最大の収穫だった。

宿題としては、これもたくさんあるが、特に場が豊かであるといってもそれはそれほど経験のない参加者からはその味わい方がわからないという声があったのが私の盲点をついていて貴重だった。

これからのブログの記事で豊かさが一部でも記述できればと思う。

もう一つ、ずいぶんいろいろな人が個性を出して発言、自己表現されていたが、もっと声をかけてくれれば発言できたのにという声もあった。

これは内気な私が外向的なポートランドのPWピープルに対して持っている批判でもあるので(速く反応できる人だけがプロセスに参加できるという感じ)、うーむと思った。

今の私は自分より大きな獲物を丸呑みした蛇みたいに、満足感とともに消化作業の緊急性を強く感じている。

グループにきてくれた方たち、準備段階でいろいろな思いを聞かせてくださった人たち、具体的な準備をしてくださった人たちにあらためて感謝して今日は筆をおく。

日本滞在中間報告 10・28・09

日本についたのが22日。

ノートパソコンを持ってきたのだが、ワイヤレスでつなげる場所がみつからず、困った。

ポートランドではほとんどどの喫茶店でもワイヤレスがあるし、スーパーのカフェテリアにもある。

ところが日本の喫茶店はそういうサービスはしていないらしい。

コンピュータを持ち込んで長居する客を嫌うらしい。

ここ数日何をしたか簡単に書いておく。

24日はDAYAさんとの対談。これは楽しかった。ファシリテーションと瞑想の関係とかを自由に話せた。

25日のグループプロセスのほうは参加者がファシリテータに文句を言うというプロセスが前面に出てきて、しかしその言い方に各人の個性が出ていて、自己紹介プロセスとして成功していたと思う。

私のほうは床に座ったきりあまり表に出ず、DAYAさんが主に活躍していて、チームワークの点で工夫がほしいところ。

二人ともポートランドにいるときとは動きが違うので互いにとまどいがあった。

参加者のKさんが何かセットアップしてくださるというので30日にも何かやることになった。

今回私が対談とかグループワークとかDAYAさんとやらせてもらったときに、他のPW関係の催しが複数ぶつかるということがあり、その辺の事情をプロセスしたら、と思ってそういうテーマでグループをやらせてくださいということになった。

隠れファシリテーションののりおさんがコファシを引き受けてくださった。

PWの流れをくむ、あるいは関連の人たちがいろいろな催しを企画してそれに参加してくださる人がいるという慶賀すべき状況にあって、日時の重なりも出てきている。

今まで自由にわが道を行くスタンスでやっておられた主催者にとってこのぶつかりはこれから増える傾向にあると思うので、それに付随して起こる気持ちの問題、関係性の問題、そして参加者にとっての問題についてワークできたらいいなと思っている。  

読者の皆さま、告知文を転載しておきますのでもしご興味があればお越しくだされば幸甚です。


*********************
皆様 こんにちは
米国プロセスワーク研究所大学院
葛藤解決組織変革ファシリテーション修士課程
第1期生として修了したお二人
大串みきおさん&廣水のりおさんに
ファシリテーターを依頼し、
和室にてのグループワークを企画しました。

みきおさんは米国ポートランド在住で、
今回、帰国にちなみ、一風変わった企画が実現しました。

みきおさんはアメリカのポートランド在住で一時帰国中、
ノリさんは日本在住ですが、
お二人の大学院修了後初の
コラボレーションによるグループワークです。
しかもお二人はマスターコースの最終試験のグループワークで
一緒にファシリテーションをして以来のチームファシリテーションだそうです。


今回のグループワークのメインテーマは
『プロセスワーク関連の催しにおけるさまざまな声を聴き合う』
となります。


●メインテーマについて
どのような集まりにおいても主催者、講師、ファシリテーターというサイドと
参加者、学習者というサイド、またその中にもさまざまな立ち位置があります。
プロセスワーク関連の催しにおいても
多様な立ち位置からさまざまな声があるように思います。
そういったさまざまな声を聴き合い、
メインテーマを巡る全体像に全員で迫っていきたいと思います。

●グループワークって?
メインテーマに関連するトピックを参加者から集めて
ひとつを入り口に話し合いから始め、
いろんな流れに乗って進みながら
テーマを巡る全体像に気づいていくことを目指します。
またメインテーマを通じて個人的な気づきを得ていく時間ともなります。
ふるってご参加ください。

◆日時 10月30日(金)18:15開場 18:30-21:30 22:00完全退室
◆場所 東京都・京橋区民館第6和室
※今回、会場内にはオブジェとして、
色とりどりの柔らかい布(無地)が何枚か置かれます。
(色布を参加させるようにすると
場の安全を守る働きがあるとも言われています)
◆参加費 3,000円
◆ファシリテーター
おおぐしみきお・プロセスカマキリ
ひろみずのりお
米国プロセスワーク研究所大学院
葛藤解決・組織変革ファシリテーションマスターコース第1期修了生コンビ
◆申込み・問合せ
お申し込みはコチラのフォーム(http://comfaci.com/mail/apply/)に
必要事項をご記入のうえお申し込み下さい。

※スペシャルコラボレーションですが、ファシリテーターの一人
ひろみずさんのコミュニティファシリテーション研究所で
お申込情報は管理いたします。
ご了承ください。

※ 二日以内(土日祝祭日を除く)に申込み受付完了のメールをお届けします。
受付完了のメールが迷惑メールとして処理されている場合がありますので、
受付完了メールが届かない場合は、削除済みフォルダや迷惑メールフォルダなども確認してください。それでも届かない場合は、お手数ですが再度お申し込み下さい。

旅行前のおののき 10/19/09

あさって日本に行く。

旅行準備といってもそんなにやることはない、と思っていたが間際になって持っていくノートブックにワードを載せるのがえらい手間だと気づいた。

なくてもいいけど、旅行中に仕事が来たらそれではやばい。

といっても最近仕事が来ることがまれなので、万一のときのために何時間もコンピュータをいじるのも消耗だ。

第一日本についたらけっこう忙しいから、睡眠とかちゃんととっておきたい。

こういうことに気をとられて、もっと大事なパスポートとかを忘れたらもともこもない。

今、携帯電話のレンタルを予約した。

お土産選びはいつも困る。

ジャムとかチョコレートとかハーブ茶とかサプリメント、でもまあ日本でも買えるしこっちのが特別いい訳でもない。

うちでジャムとか作ればいいんだろうが。地元の人はよくやっている。

日本で会うのはほとんどプロセスワーク関係の人ばかりで、最近の私の関係性をよく示している。

昔の知り合いにも今メールしてみた。

後は親戚。はじめて父の法事にも行く。

母方の従兄弟たちが付き合いがよくて、日本に行くたびに集まりをやってくれる。

考えてみると私もほんとにいいおっさんである。

アメリカに移住したころの日本帰りは仕事や本あさりが主目的だったが、二十年後の今は仕事なし、本もこっちで注文した二冊をピックアップするだけ。

時は移っているなあ。

ポートランドで出会った日本のプロセスワーク界の人たちに会えるのが楽しみ。

プロセスカマキリというブランド 10/18/09

私はプロセスワークをMACFOCで学んだが、自分の課題に役立てるためにはいろいろと工夫が必要だと書いてきた。

そのプロセス自体はなんだかんだと試行錯誤をかなりやっている。

でも、直観的に自分にとっておいしい匂いのする方へ動くことはできるとしても、他の人に提供できるようなブランドがあるのかというと、どうだろう?

今はそんなものはないにしても、どういうブランドになりたいかという方向性くらいはあるんじゃないかな。

昨日の『不可視少数派のつらさ』で内気な人間同士が社会を形成する可能性について書いたけど、その辺が私のブランドになるのかな。

物との関係性というのも実は内気とか内向性とむすびついて豊かな可能性を秘めていると思う。

自分のことをカマキリと呼ぶくらい、私は虫と縁がある。

人間の魂の中の虫的なところへのアクセスも私の特徴だろう。

まあいろいろ特徴はあるだろうが、それがなんの役に立つの?という批判者ロールも私の中にいる。

それにどう答えるか。

人が人であるだけでは窮屈で、人が蛸になったり虫になったり石ころになったりすることで私たちにとっての世界がとても豊かなものになる。

役に立つという視点自体が人間中心的すぎる、と答えよう。

プロセスワーク関係の他の人がやっていることは基本的に人間同士の関係のことだ。

私が見ている方向は自分と世界との関係ということ。この世界には人も人でない物も含まれる。

物質の想い: その4』にすでにこの辺の私の想いが書かれている。

一年以上前に書いたものだが、これは私の基本的な方向性をよく示している。



10/24(土)と10/25(日)はDAYAさんとのコラボ!
 24日は対談、25日はグループプロセスやって後でビデオ研究です。来ていただけるとうれしいです。



不可視少数派のつらさ 10/17/09

可視少数派というのは見かけで主流派と区別される人々。

黒人とかアジア系が主だ。一目見ればわかる。

隠れるという選択肢はない。

不可視少数派というのはたとえば同性愛。

本人がカムアウトしない限りなかなか周囲の者にはわからない。

不可視少数派は主流派として生きることもできる。

そのかわりいつも自分を偽るという重荷を背負うことになる。

性格差別』や『Shynessという本』で触れた、内気な性格というのも特にアメリカではひどい差別を受ける。

だから、生まれつき内気な人は外向的に見えるように必死に努力するんだろうな、と思う。

もともと可視少数派である上に不可視少数派でもあったらこれは二重につらい。

だから、有色人種では同性愛としてカムアウトしてくる人は少ない。

内気な有色人種というのは非常につらい。

なんてこれは私のことではないか。

自分自身に待ち伏せを食ったような奇妙な気分だ。

つらい思いをしている内気な有色人種としてアイデンティファイすることを拒否する自分がいる。

そして泣きそうになっている自分もたしかにいる。

自分の内気な部分にやさしくすることはむずかしい。

主流派の内気に対する有罪宣告を内面化している。

内気が差別されている、と社会に対して抗議したとしても、その抗議のスタイルそのものが外向的、英語で言えばアウトゴーイングなのだ。

内気な人間同士が社会を形成できないわけではないと私は思う。

ただ現在の社会の主流派が外向的だから内気が反社会的に見えるだけだ。

この辺は『内向者の自己一致』を参照のこと。

なんとか書いた。

DAYAさんとのコラボの意味 10/16/09

DAYAさんと一週間後に東京で対談とグループワークをすることになっている。

DAYAさん』で書いたように、仲良しである。

二人のグループプロセスに対する姿勢はけっこう違っている。

DAYAさんの方が場の安全性に注意を払う。

私は『グループの安全性』で書いたようにグループプロセスの状況を本質的に安全だと感じる傾向がある。

というか、傷つけられてもそれが自覚できなかったりする(『グループプロセスで身を守ることの大切さ』)。

MACFOCのコホート1の戦友は僕のことを「あなたは状況がつらくなるとすっと心の奥の部屋に引っ込めるのでうらやましい。わたしには外に開いた部屋しかないから戦うか、傷つくかしかない。」と評していた。

私の場合たしかに傷ついて血を流すというよりは、危険を感じて奥の部屋に引っ込んだままかたつむりみたいに出て来れなくなるという感じかもしれない。

もっとも、グループプロセスで何か言ってみながこちらを注目すると、ちょっと逃げ隠れできなくてあせることがある。

こういう居心地の悪さに慣れることが私にとってグループプロセス経験のものさしの一つである。

ううむ、このエントリーは書きやすいだろうと思ったのに、さっきから書きづらくてしょうがない。

エッジ、なんだろうな。

実は私の中にはグループが怖くてしょうがないロールもいる。

でもそのロールから語ることがむずかしい。

DAYAさんとの会話の中でその怖がりロールが少し安心して話し出しているということがある。

そうか、だから、他の人たちが見ている中でDAYAさんと一緒に対談したりファシったりすることに初舞台のような心のふるえを感じているんだな。


話が途中から脱線したけど、深読みすればつながってるともいえるので特に修正しない。



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プロセスワーク関係の翻訳の仕事 10/15/09

今日ふと気がついたのだが、プロセスワーク関係の翻訳の仕事をする時期がきているのかな。

技術翻訳を二十年やっていたので翻訳は食傷気味。つい最近までプロセスワーク関係の翻訳と言われてもいまいち気持ちがついてこなかった。

でも今日はわりと興味もエネルギーもありそうだった。

Dくんにエイミー・ミンデルのAlternative to Therapyを訳したらどうかと言われて、帰りにPowell’s書店で買った。

けっこうその気になってる。

実はDくんと話す前に某君と「ディプロメートのウェブサイトを日本語化する仕事を立ち上げようか」という話をしていたのだ。

上記の本をランダムに開いて158頁の下から二番目のパラグラフを訳してみる。

**********************************************************
テリーナはこう言った、「わたしは宇宙から来た神秘主義者なので、これらのコンセプトを地球の読者に説明するためには自分の考え方を完全に逆転しなければならない。ここで非同感性(nonconsensual)と言われているもの全てが宇宙に住むわたしには同感性(consensual)となる。宇宙が私にとっての「地球」なのだ。このクラスのほとんどの人たちはいわゆる地球の通常の同感的現実(CR)に足をつけているために上下がさかさまになっている。このことについてしばらく考えてみたが、みんながますます困惑するばかりなので、これについては次の機会を待つことにした。」
************************************************************

まあなんとかわかる日本語になってるかな。慣れてくればもうちょっとスタイルもかっこついてくるだろう。

consensus reality (CR)はよく言われるが、上のCRは実はconsensual realityである。まあ同じだと思うが。

日本ではなんと言ってるのかな。コンセンサス・リアリティかもしれない。

そうか、本を翻訳する助走として、ときどきこのブログでプロセスワークの英語の本の一節を翻訳してみるというのもおもしろいかな。

安楽で静かで幸福な生活 10/14/09

渡辺京二著の「逝きし日の面影」は『江戸時代の平等』などで紹介した本だ。

450頁にフランス人のエミール・ギメ(1836-1918、1876年に日本に滞在)の言葉が引用されている。

「日本人は何と自然を熱愛しているのだろう。何と自然の美を利用することをよく知っているのだろう。安楽で静かで幸福な生活、大それた欲望を持たず、競争もせず、穏やかな感覚と慎ましやかな物質的満足感に満ちた生活を何と上手に組み立てることを知っているのだろう。」

上記のエントリーでも書いたが、こういうのを読むとなんとも切ない気持ちになる。

当時の江戸は田園と町並みが混交する不思議な魅力を持った都市だったらしい。

私の老母は毎日よく庭仕事をして、多種類の花が咲き、野菜が採れ、八朔やびわや柚子の木のある裏庭を美しく維持していて、近所に野菜をあげたり、通りかかりの人が花をほめたり、ときには求めて持って行ったりするのを楽しみにしている。

ポートランドの私の家の裏庭は無花果や梅やミズキが生い茂ってなかなかいい感じだけど、昔の江戸のような手入れの行き届いた文化の匂いはない。

休耕田の雑草に住む虫とたわむれて育った私には庭の手入れのイメージが湧かない。

1924年生まれの母と1953年生まれの私では江戸時代からの距離が違うのか、単に私が怠け者だからか、わからないが。

今日はそんなに書くことはない、ただ上の引用を書きとめておきたかっただけ。



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